こんにちは。深山です。

突然ですが、あなたはピョートルさんって方ご存知ですか?

「お、いきなり何?」って思ったかもしれませんね?でも、僕はいたった真面目です(笑)

というのも、先日品川駅をブラブラしていると、雑貨屋さんを見つけたんでフラッと入ってみたんです。

店内は木目調で統一されていて、日本では売っていないような雑貨がキレイに陳列されています。

入ってから店内をぐるっと見回してみると、店内の奥の方に本が並べられているのを見つけました。

「雑貨には興味はないし、最近、本買ってないな〜」なんて思いながら、本棚に近づくと一冊の本が目に止まったんです。

そうです。

それが、僕が今からあなたにご紹介するピョートルさんが書いた本だったわけです。

なんとなく目に止まったわけですが、よく見ると表紙に赤青黄緑などが使われていて、明らかにGoogleを想像させるカラーでした(綿)

普段からGoogleを見ている僕にとっては、まんまとピョートルさんに戦略にハマったというわけですね。

で、手にとってパラパラとページをめくっていくと、中々面白そうな内容だったので買ってしまったというわけです。

ま、僕の話はこのくらいにして、ピョートルさんのことを知らない人の方のために、ピョートルさんがどんな人なのか簡単に説明しておきましょう。

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ピョートルさんはもともとモルガン・スタンレーにいて、2011年からGoogleで働いていました。そして、今はそのGoogleも辞めて独立して自分のビジネスをしています。

また、今でこそ黒シャツにジーンズというのがピョートルさんのトレードマークになっていますが、モルガン・スタンレーを辞めて、Googleに入社するときはとてもカルチャーショックを受けたそうです。

それもそのはず。モルガンに務めていた頃のピョートルさんは毎日スーツにネクタイが当たり前。平日にTシャツ1枚で歩いている人がいたら、ちょっと軽蔑するくらいだったそうです。

でも、Googleに入社したのがキッカケでその考え方一変します。

その当時、ピョートルさんの面接を担当してくれた人は、Googleのエンジニアのトップだった人でした。

ですが、そお身なりは、無造作な長髪で古臭いTシャツ、大きめのメガネに伸ばし放題のヒゲ…というように、ピョートルさんが一方的に見下していたタイプそのものの人間だったわけです。

でも、実際に話しているとその印象は一変したそうです。

なんと、エンジニアなのに人材育成について鋭く核心を付いた質問を矢継ぎ早にされて、圧倒されてしまったそうです。

そして、この出来事は、「この会社なら何か面白いことができるに違いない」とピョートルさんが直感した瞬間でもありました。

ちなみにですが、Googleにも一応ドレスコードはあるそうです。

それは…『wear something』

つまり、何かを着ていれば、裸じゃない限り何でもいいということらしいです(笑)なんとも、Googleらしくて面白いですね。

スーツ姿ではモテないシリコンバレー

Facebookのマーク・ザッカーバーグさんを見ても分かるように、すでにアメリカのシリコンバレーではスーツ姿の人はモテなくなっているそうです。

それは、身なりに価値を置くのではなく、今彼らが求めているものは『ゼロから新しい価値を生み出すこと』だから。

純粋に仕事の結果だけで勝負をしているというわけです。

一見厳しそうに見えますが、見た目や肩書きがまだまだ影響力を持っている日本とでは大きな違いですよね。

すでに世界は、外見で人や仕事を判断する時代は終わり、「私たちはどのように働き、どう生きるのか?」という大きな視点で価値を考える時代に突入しています。

ですが、従来型のエリート(ピョートルさんは、この古いタイプのエリートのことを『オールドエリート』と呼んでいます)は、固定化された『地位』にしがみついて生きてきました(今もしがみついている人が多いかもしれませんね)。

例えば、東大や慶応、早稲田などと言った、日本で言うところの有名大学に入学さえすれば、学歴エリートとして東大卒とか慶応、早稲田卒という肩書きの元に生きていくことができます。

また、有名大学を卒業すれば、中央官庁に進んだり、一流企業に就職したりして、ここでもまたエリート街道を進むことができるのかもしれません。

ですが、これは裏を返せば、こういった一流企業に就職することを目的としてしまっているので、これ以上の伸びしろが期待できないと思いませんか?

そして、ピョートルさんは「これからの時代をリードする人で必要なことは、『今どこにいるか?』という地位よりも、元いた場所と今いる場所にどのくらいの差があるのか?つまり、『継続的に成長できているか?』の方が重要だ」といい切っているわけです。

いい大学に入って、いい企業に就職すれば将来は安泰という考えはすでに破綻している

「いい大学に入れさえすれば将来は安泰だ…」

「優良企業に就職できればエリートコースまっしぐらだ…」

なんて考えはもうとっくの昔に破綻しているのに、大学も企業も『○○大学卒』という肩書きを欲しがり、しがみつこうとしています。

だから、大学側は自校のランキングをいかに上げるかに力を入れ、できるだけたくさんの生徒を獲得しようとします。そして、自校の価値を高くしようとしているわけです。

だから、本来の大学の目的である、『いかに良い人材を世の中に送り出すか?』ということを後回しにしてしまって、自分たちの私利私欲ばかりを考えています。

これでは、何のための大学なのかサッパリ意味が分かりませんね。

その一方で学生たちも、『いかに効率よく有名大学に入るか?』ということを目的にしているので、大学に入ってしまえさえすれば、卒業するまでに必要な単位だけを取る勉強しかしないのも当然の結果なわけです。

これでは世界に風穴を開けるような、新しい発想なんて生まれれるわけないですよね。

卒業した大学とパフォーマンスにはほとんど相関関係はない

ピョートルさんいわく、社内で行われた調査によると、大学を卒業したかどうかとパフォーマンスには相関関係があることがわかっているそうです。

また、この結果には「知的好奇心が強いひとが大学に行く確立が高いからじゃないか」と言っていますが、卒業した大学とパフォーマンスには「ほとんど相関関係はなかった」とも言っています。

それに、こうも言っています。「パフォーマンスともっとも相関関係があるのは、挫折経験であることもわかっています。例えば、大学の学費を作るために苦労したとか、両親が離婚したとか、思い病気をしたなどの経験です」

高みに昇るためには挫折も必要

人は一生懸命努力をすると、ある一定の領域まで昇ることができます。そして、そのある一定の高みのことを『頂天』と言います。ちなみに、頂天は仏教用語だそうです。

ですが、人は成功をし続けることはできないので、ある一定の頂天まで昇りつめたら落ちなければならないのです。これを『奈落』と言います。

でも、人には地位、名声、名誉などに執着があるので、自ら落ちることができません。ある一定レベルの水準を落としたくないわけです。だから、頂天に執着し続けようとします。

なのでこの頂天に執着し続けている状態を、頂天が有ると書いて『有頂天』というわけです。

有頂天を生きている人間は、もうそれ以上の高みを望むことはできません。上に昇ることもなければ、下に落ちることもありません。ただ、ダラダラと人生を生き続けます。

もちろん、「俺は別に頂天なんて見ようと思わない。今の地位で全くOKだぜ!」という方は無理をせずに今の生き方を貫いて下さい。

ですが、あなたがさらなる高みを望んでいるのであれば、今の有頂天の状態から抜け出し、一度奈落の底に落ちる必要があります。

例えばこんな感じにです。

一生懸命努力をして+10まで高みに向かった昇ったとします。そうすると、奈落に落ちる時は昇った分と同じだけ落ちるので-10まで落ちることになります。

だから、頂天と奈落の幅は20です。

この20の幅がさらなる頂天を目指すには必要なのに、ほとんど人はこの20のストレッチを嫌がります。もちろん、この幅は苦しいですし、不安にもなれば、批判も受けます。

でも、このマイナスの状況がなければ、新たな頂天に昇ることはできないのです。

ストレッチが強ければ強いほどその反動も大きくなるので、次に頂天に昇る時は+30まで昇ることができます。そして、また-30まで落ちるのです。

人はこの経験の繰り返しで成長し続けることができ、成功し続けることができるのです。

また、頂天にいる人には、奈落に落ちるタイミングがくると『お知らせメッセージ』が届きます。それは、例えば、売上が伸び悩むことかもしれません…社員が突然辞めてしまうことかもしれません…病気をして体を壊すことかもしれません。

どんなメッセージかは分かりませんが、あなたにとってのお知らせメッセージが必ず届きます。なので、もしあなたが「自分は有頂天になっているな」と思うのなら、このメッセージを無視せず、素直に受け止め自ら奈落の底へ落ちましょう。

それは、新しい頂天に向かう第一歩ですから。

今日の質問

質問1:あなたが執着して手放せないこと、有頂天だと思っていることは何ですか?

質問2:最近、「お知らせメッセージはありましたか?」あったとしたらそれは何ですか?

質問の回答はコメント欄にどうぞ