こんにちは。セールスマーケティングライターの深山です。

『「本質は重要だ」という本質を理解する』

先日、セールスコピーライティングのセミナーに行ってきました。久振りのセールスコピーライティングのセミナー。しかも、2日間会議室にこもってみっちり行うもの。

今回はどんな新しいライティングテクニックや最新の情報を聞くことが出来るのだろうととてもワクワクしながら参加しました。

ところが、なんと、ほとんど知っている内容ばかり…正直言って、新しいライティングの学びは何もありませんでした。

が…

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情報大飽和時代

もっとすごい学びがあったんです。それが冒頭の「『本質は重要だ』という本質を理解する」なわけです。今の時代、インターネットのおかげで次々と新しい情報が入ってきます。

これはあなたも感じているかと思います。

常に…

”最新のテクニック”
”最新のマーケティング”
”最新のコピーライティング”

という言葉が飛び交っています。

もちろん、人間の心理的に”新しい”という言葉は人の目を引きやすいワードでもあるので、”最新”という言葉を使うことは正しい選択なわけです。

ですが、これは表面的なテクニックでしかありません。

みんなが”最新“という言葉を使えば、それは最新ではなくなります。みんなが”割引”という言葉を使えば、それは割引ではなく定価になってしまいます(携帯電話業界をみればわかりますよね)。

だからこそ僕たちは、そんな表面的なテクニックばかりを追い求めるのではなく、もっとも根本的な原理原則、本質に目を向けなければなりません。

テクニックよりも大事なもの

セールスコピーライティングで言えば、ライティングのテクニックよりも、顧客のリサーチ、商品のリサーチ、市場のリサーチの方が重要なわけです。

だけど、リサーチの作業は面倒ですし、面白くないのでほとんどの人がやりません。だから、セールスコピーも表面的なものになってしまうわけです。

さて、そんなわけで今回は、僕と同じようにテクニックに溺れかけているあなたのために本質的なあるストーリーをご紹介しましょう。もしかしらた、この話はどこかで聞いたことがあるかもしれません。

でも…

「この話聞いたことあるからイイや」

なんて思わず、心を落ち着かせ、是非、もう一度読んでみてください。「『本質は重要だ』という本質を理解する」ですから。

地獄と極楽の話

会社を経営している60歳の方が突然、仮死状態へ陥った。気がつくと閻魔様の帳場にいたのです。そして、閻魔様の帳場まで参りますと

「お前の今までの人生がどんなものだったか振り返りなさい」
「今世の使命を全うしたかどうか試験する」

と言われました。

その経営者が答えようとモゴモゴしていると次に閻魔様からこのような質問が来た。

「お前は今世、どれだけの人生を楽しんできたか?」

「…?」

その質問に経営者は言葉を失ってしまった。

これまで、一生懸命仕事を頑張りたくさんの収入も得た。それに、社会的地位も勝ち取った。でも、「人生を楽しんだか?」と聞かれると答えが出ない。

そんな状態でいると閻魔様から

「お前は人生の使命を履き違えたようだ」
「冥土へ来るのはまだ早い」
「もういっぺん娑婆へ戻ってやり直してこい!」

と言われたのです。

経営者は娑婆に帰れると喜んで閻魔様の帳場を出ると、そこは人間が死んでから行く先の見本市がズラッと並んでいます。地獄館、極楽館、餓鬼館…経営者は…

「これは見ものだ」
「せっかくここまで来たからにはひとつ見物して帰ろう」

と、まず地獄館から入ってみることにしました。

地獄と言えば、赤鬼や青鬼がいて、罪人を臼でついたり、油で似たりして恐ろしいところだと聞いていた。でも、入ってみるとどうしてどうして、こざっぱりとして洋間で、真ん中にテーブルがあり白いテーブルクロスがかけてある。

しかも、その上に中華料理のように丼や鉢にいっぱいのご馳走が盛ってある。

「地獄と言っても、イカスじゃないか」

と思いながら周りに目を配ると、テーブルの周りに腰掛けているお客さんがみんな骨と皮に痩せこけてしまっている。目はくぼみ、真っ青な顔をして互いに何かを言い争って喧嘩をしている。

「これは地獄だ」
「でもなぜ、あのご馳走を食べないのだろう…」

と思ってよくよくお客さんを見てみると左の手が椅子に縛ってあるではありませんか。そして、右手には長いさじが縛ってある。

経営者は…

「あのさじですくってあのご馳走を食べたらいいのに」

と思って、よく見ると…

そのさじがバカに長いのに気がついた。その長さ約2メートル。好きなご馳走をすくって食べようとするが、さじが長くて口に届かない。

みんなご馳走を背中にぶつけてしまい、そして…

「お前が悪い」
「お前の気がきかん」

と喧嘩をしているのです。

「なるほど、これは地獄だ」
「さぞかし苦しい苦行であろう」

と同情しながらしばらく歩くと極楽館なるものが見えました。

「ここが私の行くところだ」
「中をよく見ておこう」

と思って中に入りますと、お地蔵さんや天女さんでもいるのかと思いきやそんな方は一切いません。それどころか、中の構造は地獄館とちっとも変わらない。真ん中にテーブルがあって、白い布がかけてあり、大きな丼や鉢に美味しそうなご馳走が盛ってある。

まったく同じ。

ところが、よく見渡すと、こちらのお客さんは、みんなでっぷりと血色がいい。みんな楽しそうに話をして、歌をうたっている。環境は同じなのに、空気が全く違う。

「これは確かに極楽だ」

では、こちらの方は手が椅子に縛っていないのかと思うとやっぱり左手が椅子に縛ってある。それではと、右手にさじが縛っていないのかと見るとこれまた、やっぱり縛ってある。

さじが短いのか?いいや、やっぱり2メートルほどある。

では、どこが違うのか?としばらく見ていると、極楽館のお客さんは、長いさじでご馳走をすくって向かいのお客さんに

「あなた、いかがですか?」
「どうぞ、どうぞ」

と人に勧めている。

そうすると、向こう側からも「どうぞ」といらっしゃるので、「そうですか、頂きましょう」となるわけだ。

そこで経営者は…

「地獄も極楽も環境や条件は同じだが、自分だけが食べようとすると世の中が地獄になるし、まず、人に食べさせることを考えていけば、この世の中が極楽になる」

「なるほど、それだけの違いか」

などと気がついたら、布団の上に寝ていました。

俺が先、私が先

さて、この話を読んであなたはどう感じましたか?

得てして人間は、「俺が先だ」「私が先よ」となりがちです。きっと、何か嫌なことがあったり日頃からストレスを抱えているのでしょう。

その気持もよくわかります。

でも、そんなときこそ、”地獄と極楽”の話を思い出してみてください。きっと違う世界が見えるはずですから。