こんにちは。セールスマーケティングライターの深山です。
「僕がどんなに思い切ってスタートしたとしても飯塚さんがバトンを渡してくれると信じていた」
「よりいい順位でケンブリッジさんに渡すことしか考えていなかった…」
この冒頭のセリフは、オリンピック400mリレーで見事銀メダルを獲得した桐生選手のインタビューの抜粋です。僕も銀メダルを獲った瞬間をリアルタイムで見ていましたが、思わず「すげー」と声が出てしまいました。
正直って、日本人がオリンピックのスプリント競技でメダルを獲れるなんて思っていませんでした。
活躍はしてくれると思っていましたが、「惜しい”ところでメダルに届かない…」なんて結果になるだとうと想像していました。でも、蓋をあけてみれば大前線なんてもんじゃない見事銀メダルの獲得。
いやいや、日本人として素直にうれしいですよね。
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あなたは他人を信じられますか?
で、なんで今回僕が桐生選手のインタビューを引っ張り出してきたのか?それにはちゃんと”ワケ”があります。それは、「バトンを渡してくれると信じていた…」の”信じる”という言葉についてです。
今回、僕はこの”信じる”という言葉に少しフォーカスを当ててみたいと思います。
なぜ、桐生選手はここで信じるという言葉を選択したのか?また、どんな気持ちで使ったのか?そんなことについて考えてみようと思います。
ですが、実際のところ、本当に桐生選手がこんなことを考えていたかどうかは分かりません。僕の最大MAXの主観的な考えなのでその辺りはあしからず…
信用と信頼の違い
では、本題です。
まず”信じる”という言葉を明確にしなければなりません。その作業には、僕の大好きな自分の1人、哲学者のアドラーさんの力をちょこっとだけ拝借しましょう。
アドラーさんは、信じるという言葉を「”信用”と”信頼”とに区別して考える必要がある」と言っています。ではいったい、信用と信頼とではどんな違いがあるのか?
信用の定義
まずは、信用です。
信用とは一言でいうと、”条件付きの話”になります。例えば、あなたは銀行からお金を借りようとしています。その時、借りた経験ある人は分かると思いますが、何かしらの担保が必要になります。
そして、銀行はその担保の価値に対して、「それではこれだけお貸ししましょう」とお金を貸して売れるわけです。
簡単に言うと…
「あなたがお金をちゃんと返してくれるなら貸しますよ」
「でも、あなたが返済できる分しか貸しませんので」
という状態が信用です。
信頼の定義
一方、信頼は単純明快です。
信頼とは…
「他者を信じるにあたって、一切の条件を付けない」
ことです。
たとえ、信用できるだけの客観的根拠がなくても信じる。担保のことなどいっさい考えずに、無条件で信じること。それが信頼です。
桐生選手は何を信じたのか?
ここで一旦、桐生選手に話を戻しましょう。
じゃ、いったい桐生選手は、”信じる”という言葉をどちらの意味で使ったのでしょうか?まー、考えるまでもありませんよね。
もし、桐生選手がバトンリレーの場面で、「飯塚の野郎がバトンをミスったら俺は全力で走らねぇーからな」なんて、デビル桐生が思ったらどうでしょうか?
きっと、銀メダルなんて獲れていないでしょう。ていうか、そもそもそんな選手はオリンピックの代表に選ばれないですよね…
そうではなく…
「俺がどんなスタートをきったしても飯塚さんが必ずいい形でバトンを渡してくれる」
「たとえ、飯塚さんの順位が悪くても俺が挽回してみせる!」
「チームのため、日本のために120%の力を出し切る」
という思いだったと思うのです。
あなたはどう思いますか?
もちろん、信頼したにも関わらず、ダマされて利用されてしまうこともあるでしょう。でも、もしあなたが逆の立場だったらどうでしょうか?
あなたから裏切られてもなお、無条件で信じ続けてくれる人がいる。あなたがどんなワガママを言っても、信頼してくれる仲間がいる。そんな人に対して、あなたは何度も背中を向け続けることができますか?
信頼の反対語は?
信用と信頼。
似ているようでまったく意味合いが違いますね。今一度、考えてみてください。で、最後に1つだけあなたに質問があります。信頼の反対語って何だかわかりますか?
ちょっと考えてみてください。
…
…
…
ちゃんと考えてくださいね。
これはちょっと難しいかもしれませんね。
懐疑(かいぎ)とは?
信頼の反対語は”懐疑(かいぎ)”です。
先ほど登場してもらった桐生選手が、飯塚選手に”懐疑”を持っていたらどうなるでしょうか?いったいどんな関係が生まれていたでしょうか?考えるまでのありませんね。それに、考えてもあまり意味のないことかもしれません。
他人を疑い、友達を疑い、家族や恋人までも疑っている…そこからどんな関係が生まれるでしょうか?それに、もしあなたが常に疑いの目を持って人に接しているとそんなことは、その相手も瞬時に察します。
「この人は私のことを信頼していなんだな…」
と、直感的に理解するわけです。
そこから、何か前向きな関係が築けるでしょうか?築けるわけがありませんよね。私たちは、無条件の信頼を置くからこそ、深い関係が築けるというわけです。
「相手が裏切らないのなら、私も与えましょう」
というは、担保を元に貸付を行う銀行と同じです。
それは、信用の関係でしかありません。
ぜひ、他人がどうするか?ではなく私がどうするか?を考えて行動してみてください。今日はちょっと深い話になってしまいました。
ではでは。