こんにちは。セールスマーケティングライターの深山です。

「君たちは本当に最後まで戦ったのか?」
「心のどこかで諦めていなかったか?」
「僕はそういう子を作りたくないんだよ」

今は試合後のミーティング。

うつむき加減の子もいれば、うっすら涙を浮かべている子。悔しがっている子。下を向いて砂いじりをしている子もいます。

ふと、周りを見渡すと、サッカーをやっている子どもたちばかりなのに、なぜか、僕らの周りだけはお葬式のように静かです。

あなたがご存知かどうか分かりませんが、僕はもうかれこれ3年ほど、小学生にサッカーを教えています。いわゆるコーチというやつです。

今年から一応、指導部という立場につかせて頂きました。とは言っても僕のチームは、小学校に通っている子どもたちを対象とした小さな町の弱小サッカークラブです。

なので、全然大したことないわけです。

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目標は全国大会出場

ですが、そんな弱小クラブでも目標はあります。

それは…

「全国大会出場」

です。

ですが、実は夏くらいまでチームが崩壊しかけていた時期がありました。先程も言いましたが、僕らのチームは町の弱小クラブです。なので、当然初心者のような子供もいます。

入部してみたもののレベルが低いので、「もっと強いチームでやりたい!」と言ってクラブを辞めていく子供います。

そんなチームですが、5、6年生にもなるとサッカーの実力に差がでてくるわけです(ちなみに僕は5、6年生担当です)。

「おまえ何で今のパスがとれないんだよ!」
「そんなのもっと走り込めよ!!」

とサッカーの出来る子が、できない子供に対してイライラするわけです。そうすると、できない子は、できる子に対してビビリ、その他の子どもたちはできる子に対して…

「あいつ偉そうだな…」

と嫉妬心や不信感を頂くようになってしまいます。

そんなことが少しづつ重なり、チームが崩壊しかけてしまったというわけです。

そんな状況を僕たちコーチも黙って見ているわけにはいきません。

「さて、どうするか?」

と頭を捻って考えました。

そうやって考え出して答えが「チームの目標を持つ」ということだったわけです。

その時は、ちょうど夏合宿の前でしたし、チームがまとまるにはいい機会だと考えました。そして、夏合宿初日に5、6年生が中心になって、決めた目標が”全国大会出場”だったというわけです。

ホントにその目標で大丈夫?

僕はこの目標を聞いた時に正直

「おいおい大丈夫か?」

と思いました。

だって、僕たちのチームは、区の大会でも優勝したことがないんです。そんなチームが全国大会出場なんて…

ちなみに、全国大会に出場するためには、市区町村の大会で上位に入り、その後、東京都大会を勝ち抜き、関東大会を勝ち抜き、ようやく全国大会という長く険しい道のりなわけです。

そのことを知ってか知らずか、子どもたちは全国大会出場という目標を掲げ、一生懸命練習に取り組む。どんなに辛い練習でも耐え抜くということを決めたわけです。

子どもたちが大きな目標を掲げたからには、コーチが燃えないわけにはいきません。それからというもの、連日連夜メールのやり取りを行い、時には言い合いをしながら、練習メニューを突き詰めていきました。

そして、夏合宿から3ヶ月後…

全国大会の予選の結果は…

つい先日、子どもたちが目標とする全国大会の予選があったのです。

その結果は…

0対4の負け。
2回戦敗退でした。

相手は都大会常連の強豪でしたし、力の差は歴然でした。ですが、負け方が悪かった。どう考えても、全国大会出場を目標にしているチームの戦い方ではなかったわけです。

最後の最後まで、終了のホイッスルがなるまで、必死に、がむしゃらにボールを追いかけたのか?もし、そう問われれば「?」がつきます。

もちろん、子どもたちに聞けば

「必死にやった」
「全力を出し切った」
「最後まで諦めなかった」

と答えます。

ですが、外から見ている僕たちコーチ、応援に来ている親御さんたちの目には、どう考えてもそうは映りませんでした。特に、前半に2点目を入れられた直後、あからさまにチーム全体の士気が落ちたのを感じたのです。

だからこそ、監督から冒頭の話がミーティングの中ででたのでしょう。

今ここ

約2500年前にブッダは弟子にこう聞かれました。

「私の前世は何でしょうか?」

そして、ブッダはこう答えたと言われています。

「そんなことは考えなくてよい」
「ただ今、この瞬間、この刹那(せつな))を大切に生きなさい」

あなたは刹那という言葉をご存知でしょうか?

一般的に刹那主義というと「今さえよければ後はどうでもいい」と解釈されがちです。ですが、ブッダの言う刹那主義はちょっと違います。

それは…

一瞬、一瞬を大事に生きる

ということです。

そして、さらに言えば、今、目の前に人に心から尽くすこと。思いやりに満ちたもの、励ますもの、勇気づけるもの、どんなに酷いことを言われても心安らげる言葉遣いを実践することを意味しています。

サッカーで言えば、その日の2時間の練習を集中してできたかどうか。もっと言えば、ドリブル、パスの1つひとつを大事に丁寧に練習したか?

といったところでしょうか。

また、僕たち起業家で言えば、その日、その1時間、1分、一瞬を寿命を減らすくらいの気持ちで全力投球できたか?ということです。

人間はどうも、幸せを外側に求めがちです。ですが、本当に幸せは内側にあるのではないでしょうか?そして、その内側の幸せは”一瞬を大事に生きる”ことでしか見つからないのではと僕は思うわけです。

あなたはどう思いますか?

それでは、今日も”いい加減に好い加減で”