こんにちは。セールスマーケティングライターの深山です。
僕:「じゃ、ハーフコートのミニゲームで」
子供たち:「えー、大きいコートの試合でいいじゃん」
僕:「でも、今日は人数も多いし、待ち時間が出るだろ」
子供たち:「待ち時間あったっていいよ!」
僕:「でも、今日はミニゲームで。早く準備しろよ!!」
子供たち:「ミニゲームだって待ち時間あるじゃん…」
これはつい先日のリアルな会話。
僕は小学生のサッカーチームのコーチをしてるわけですが、1時間しか練習時間が無い中でいかに効率よく、身になる練習をするかということが僕の中の課題なわけです。
ですが、その日は学校側の色々な事情が重なり、校庭に30人ほどの子どもたちがいました。子どもたち同士で練習試合をするには、いくつかのチームにわけなければなりません。
8人のチームにわけたとしても、3チームか4チームにする必要があります。となると、毎回必ず休憩をするチームがでてしまうわけです。
効率を求める僕としては、なるべく休憩を減らしたいところですし、それに、休憩を入れると子どもたちの集中も切れてしまいます。しえに、集中が切れると、他のことで遊び始める子供もいるので、それはなんとしてでも避けたいわけです。
なので、僕がとった作戦は、30人ほどの子どもたちを半分にわけて、半分のミニコートで練習試合をすることにしました。そうすれば、13人から15人になるので、休憩をする子供を出さずに練習ができると考えたわけです。
[toc heading_levels=”2,3″]
僕の大きな勘違い
ですが、僕は大きな勘違いをしていました。
そうです。
子どもたちを半分にわけたところで、コートも半分になるので、一度にプレーできる人数も減ってしまいます。ということは、結局3チームにわけることになり、休憩をする子どもたちが出てきてしまうのです。
で、冒頭の「どうせ、待ち時間あるじゃん」という捨てセリフにつながったというわけです。
僕はこの捨てセリフを聞いたとき、正直言って「カチン」と頭にきました。
「誰のために朝早く起きて練習してやってんだ!」
って。(ちなみに、練習は朝の7時から8時まで学校の前にやってます)
真の友
突然ですが、
「あなたには真の友はいますか?」
また、
「真の友とはいったいどんな友だちなのでしょうか?」
以前、僕のメンターからこんなお話を伺ったことがありました。
「真の友について経典にはこう書かれている」
経典(きょうてん)というのは、仏教において釈迦(ブッダ)が説いた教えを記録した聖典のことを言います。Wikipediaに詳しく書かれているので。興味のある人は調べてみてくださいね。
友だちモドキ
で、話を戻すと、真の友を語るときブッダは逆に4種類の『友だちもどき』を挙げて「こういう人は見せかけだから注意するように」と教えてくれる。
1.利益のためだけに近づいてきて、一方的に求めるだけの人
2.口先さけの人
3.相手が喜ぶことだけを言う人
4.財産を減らす人
さらに、真の友を見分けるために、3をもう少し掘り下げて記されている。
相手が喜ぶことだけを言う人
あなたにとって心地よいセリフばかりを言ってくれる人は、友ではなく『友人もどき』だと幻滅しておくとよい。
そのポイントは4つ。
1.あなたにとって悪いことでも、いつも「そうだよね」と同意する
2.あなたにとって良いことでも、いつも「そうだよね」と同意する
3.目の前ではいつもあなたのことを褒める
4.あなたのいない所で、あなたの悪口を言う
これら4つのポイントが揃っていれば、友人ではなく『友だちもどき』と見抜いて離れるといい。
この話を聞いてあなたはどう思いましたか?
例えば、普段から口うるさい父親や母親、あるいは、、職場の上司、恋人…今回の僕の例で言えば、憎たらしい口を聞く子どもたち。
そういった人たちは、得てして嫌な人と感じてしまいます。
心のなかでは
「友だちになりたくないなー」
とか
「こんな嫌なやつとは友だちになれない」
と思うのが本音でしょう。
批判は自分を成長させてくれる材料
ですが、その「嫌だな」と思ったことを『自分自身を成長さえてくれる材料なんだ』と捉えることができたらどうでしょうか?
そう思うことができたなら、父親も母親も上司も恋人も子どもたちも【真の友】と言えるのではないでしょうか。
あなたも人に注意した経験があると思います。人に何か注意をするのってものすごくパワーを使いませんか?それに、耳の痛い話を自分に教えてくれるのはそれ相応のリスクがあるわけです(本当に嫌われてしまうかもしれませんよね)。
ですが、そのリスクがを承知で、あなたに伝えなければならないことをあえて伝えてくれているわけです。
そこに、愛を感じませんか?
でも、褒められる方がいい…
「でも、やっっぱり注意されるより褒められたほうが気持ちいいですよね?」
と、思う人もいるでしょう。
まさに、その通りです。
相手があなたの言うことをすべて受け入れてくれ、同意してくれたら、これほど気持ちのよいことはないでしょう。
ですが…
「良いことも悪いことも同意する」
というのは、逆に言えば、
「あなたのことなど何も考えず、表面的な体裁を整え返事をしているだけ」
と捉えることもできます。
こんな人は、結局「何も考えていない」のです。
耳の痛い話は成長するチャンス
もし、相手が親身になって、あなたの言うことを聞いているのなら、簡単に「それ、いいね」とは言えなはずです。だからこそ、悪いことを指摘されたとき、自分にとって耳の痛いことを言われたときこそ、自分自身を大きく変えるチャンスなわけです。
あなたの周りには、良いことも割ることもズバッと指摘してくれる【真の友】はいますか?また、あなたは友人にズバッと指摘をしたことはありますか?
是非、何でもズバッと指摘できる真の友だち作りをしていきましょう。
ではでは。